書庫整理をしていて、もう一冊大切な遺稿集が出てきました。今度は、僕の実の祖父・内宮義夫の遺詠(短歌集)。明治30年生まれ、鹿児島で開業した医師です。

前回のコラムに登場した養祖父・内宮正平(足を失くした「じいちゃん」)は、じつはこの義夫の実弟。兄弟ふたりとも、それぞれの場所で人と向き合い続けた人たちでした。

ふと開いたページに、こんな歌が刻まれていました。

◎ 往診途上にて

夕ぐるる頃ほい 山道帰りゆく
いま診し患者の 予后を思ひつつ

—— 内宮義夫

夕ぐれ時、山道を帰りながら、いまさっき診たばかりの患者さんの容体を案じている。100年近く前、鹿児島の田舎を歩いて回った医師の眼差しが、そのまま伝わってきます。

じいちゃんも往診やってたんだ。なんか嬉しい。

「ヨカヨカ先生」と呼ばれて

内宮義夫(1897-1976)の経歴。長崎医専卒、鹿児島で開業、宮崎県北浦村への往診を30余年続けた『ヨカヨカ先生』
遺稿集より、内宮義夫の経歴。

内宮義夫。1897年(明治30年)、鹿児島県の串木野市生まれ。長崎医専を卒業後、鹿児島で開業。むかし一時そこにいた宮崎県北浦村の人々が、船を仕立てて大勢で頼みに来たので断りきれず——それから30余年、現地で往診を続けたといいます。

「医は仁術」を実践し、村人から「ヨカヨカ先生」と慕われました。「お金はいつでも、ヨカヨカ(よかよか/『大丈夫よ』)」——いつ払ってくれてもいいよ、と。

その徳がのちに知られ、読売医療功労章や日本医師会の表彰を受けた後、鹿児島に帰ってまもなく逝去。1976年(昭和51年)のことでした。

同じ「往診の風景」

明治の医師が、夕暮れの山道を帰りながら患者を思った——その風景が、令和の僕にもそのまま重なります。

訪問歯科の現場で患者さんのお宅をあとにするとき、車のなかで「あの方の口腔ケア、もう一工夫できないか」「次は何を持っていこうか」と考えていることがあります。100年前の山道とはちがうけれど、心の動きはほとんど同じ気がします。

「医は仁術」「ヨカヨカ先生」——その精神を、形を変えて受け継いでいけたら。そう願いながら、今日も多摩の街を回っています。

おうちで歯科は、多摩市鶴牧を拠点に、ご自宅・施設・グループホームへの訪問歯科診療を行っています。歯科医師と歯科衛生士がチームで伺い、虫歯治療・入れ歯・口腔ケア・嚥下リハビリまで対応します。お申し込みはお気軽にどうぞ。