それは、足を失くした祖父の本を読んだのがきっかけなんです。偶然、倉庫で祖父の遺稿集を発見したんです。その本の内容を少しご紹介いたしますね。

倉庫で見つけた、祖父の遺稿集

『内宮正平 遺稿集』表紙
『内宮正平 遺稿集』

祖父は、鹿児島県の薩摩半島にある串木野市出身で、僕の高校の大先輩にあたります。東京帝国大学経済学部生のとき、学徒出陣で戦争にいき、両足を失くしました。

戦後、障がい者差別がまだまだたくさんあった時代に、足はないのですが頭がよかった祖父は、お花屋さんの個人事業をやったり、歴代の鹿児島県知事の後援会長や相談役をやったりしていました。

自分の自立を超えて、社会へ

そんな中、祖父は自分だけが自立した生活を送るだけでは収まりきらなかったようです。

どういうことかというと、自分だけでなく、どんなに重度な障がいをもっている人でも、地域社会の中で精神的に経済的に自立した生活を営むことができるようにと、社会福祉事業に尽力したのです。

家族からは「頼まれもせず、ゼニにもならぬことを」とよくからかわれていたそうです(笑)。

僕なりの考察ですが、自分以外の障がい者の自由自立が、祖父本人の自由自立へとオーバーラップしていて、自分以外の障がい者=本人になっていたのではないか。つまり、自分以外の障がい者が幸せだったら本人も幸せ、という構造になっていたのではないか——。説明が下手ですみません。

「太陽の里」の創設

その社会福祉事業が、鹿児島にある「太陽の里」です。素晴らしい施設です。

社会福祉法人 太陽の里(https://taiyonosato.com/)

差別があった時代ですので、創業当時はかなりの苦戦を強いられていたそうです。

皇室の御来臨が、転機となって

苦戦して何とか耐えていたその頃、なんと、皇太子同妃殿下(今上の上皇上皇后両陛下)が、太陽の里に御来臨されました。

両殿下の心暖まる激励によって、それがみんなの光となり契機となり、みんなが協力してみんなを巻き込んでいき、ついには全国屈指の就労支援を行う施設になりました。

じいちゃんの背中、親父の背中、そして僕

じいちゃんは、僕が中3の冬に亡くなっています。

祖父の背中をみていた親父。そして親父の背中をみていた僕。親父の背中にはいつも、優しさとか思いやりとか、困った人を助けるとか、そういうものがうつっていました。

一方の僕は42歳まで、自分の好き勝手に生きてきました。誰かのために何かできる人ではありませんでした。

最近は子どもの成長とともに、ちょっとは成長しました。僕も、自分の背中をみる息子娘たちにかっこいいと思われたい、とそう思います。結局、僕は自分が大好きな困ったちゃんなんです(笑)。

42歳のいまから

今回、本を読んだことがきっかけとなり、42歳になって遅いのだけれども、それでも僕は、そういう風に人生を通して何か成し遂げるようなことをやってみたい。たとえ成し遂げなくても、そういう風に生きてみたいと思いました。

自分ができるとしたら、まずは歯科。

歯科を通じて、何かしらやっていきたい、他者貢献したいと思った次第なのです。

おうちで歯科は、多摩市鶴牧を拠点に、ご自宅・施設・グループホームへの訪問歯科診療を行っています。重度の障がいをお持ちの方、ご高齢で通院が難しい方の「食べる」「話す」を支えたい——そう願って日々の診療にあたっています。ご相談はお気軽にどうぞ。